父は中堅のテレビ制作会社を経営。野球が好きなごく普通の少年時代を送る。
最愛の母が慢性腎炎で36歳の若さで急死してしまう。またその後、父の会社の清算を経験する。小学校のアルバムに「おとなになったら会社の社長になります」と書く。
中学生時代、キリスト教に関心を寄せ、聖書研究会に入会、福祉問題にも興味を持つ。キリスト教の宣教師として生きていくか企業家として社会貢献を行うかに悩む。キリスト教の道をあきらめ、起業家を志す決意をする。
大学2~4年間の間で日本一周旅行と北半球一周旅行を決行した際、旅の経験から外食は人々を幸せにすると確信。また、在学中、明治大学の横浜会に入会、59代目の幹事長になる。1万人コンサートを企画開催した。
当時つぼ八の社長であった石井誠二氏と出会い、現ワタミの前身となる有限会社渡美商事を設立し、つぼ八のフランチャイズオーナーになる。
居酒屋「和民」を展開
居酒屋「つぼ八」のフランチャイズ本部であるイトマン食品株式会社(現在株式会社つぼ八)と1993年9月までにフランチャイズ契約を解除し、当社経営の居酒屋「つぼ八」13店舗を居酒屋「和民」に順次変更することの覚書を交わす。
「"美しい地球を美しいままに、子どもたちに残していってあげたい"次の世代が、今ある美しい地球環境を受け継ぐことができたら、とてもすばらしいことだろう。このためには、地球に住むひとり、ひとりが変わらなくては、何も変わらない。」という思いのもと、外食産業で初めて、IS014001を取得。
※2009年10月に公益財団法人へ移行し、公益財団法人「School Aid Japan(スクール・エイド・ジャパン)」代表理事に就任。
「お客さまに、安全な食材を使った料理をお出ししたい」という考えのもの、株式会社安全安心食卓研究所業務を引き継ぎ、千葉県山武町にて農場運営を開始。続いて群馬県に倉渕農場を開設。
「人間が本当に人間らしい夢と希望を持った人生を送れる基を築くような教育機関を設立する」という夢の第一歩として、東京都文京区で郁文館中学校、郁文館高等学校、郁文館グローバル高等学校の3校を経営する学校法人郁文館夢学園の理事長に就任する。
ワタミメディカルサービスを設立し介護事業に参入するとともに、大阪府岸和田にある医療法人盈進会岸和田盈進会病院の理事に就任。
「高齢者の幸せのための、高齢者による、高齢者対象のネットワークコミュニケーション事業」を展開する株式会社タクショクがグループ会社となる。
※法人名や団体名は現在のものです。(2010.11.24現在)