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社会・環境 2010.02.03

「悼む人」の3つの問い 愛したか、愛されたか、感謝されたか

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 目を覆いたくなるような残虐な犯行。命の重さが軽く扱われるような事件が最近、目につく。

 

 今回は直木賞受賞作、天童荒太氏の『悼む人』を取り上げてみたい。

 

 本書は、友人を救えなかった心の傷を持つ主人公「静人(しずと)」の旅を描いている。旅の目的は悼むこと。新聞などで得た情報をもとに、全国の事故現場、事件現場を歩いてまわっては、見ず知らずの死者を悼む。
 ガンを告知された彼の母親、嫌われ者の事件記者、夫殺しの女が、静人に絡み合う。なぜ彼はこのような行為にとりつかれたのか。気味悪がられ、迷惑がられる。偽善だ、自己満足だ、などと疑問や反感をぶつける者たちの目を通して、「悼む人」は描かれていく。

 

 私が心を奪われたのは、死者を知る者を訪ね歩いたときに必ず聞く静人の言葉だ。
 「誰に愛されていたか、誰を愛していたか、どんなことをして人に感謝されたことがあったか」。
 このたった3つの質問で人は生きてきた道筋がすべて分かる、と著者は考えているのだろう。誰に愛されたのか、誰を愛していたのか、どんな感謝を受けたのかーー。
 この3つの質問に対する答えをより広げていくためにわれわれは生きているとも言える。もっと多くの人を愛したい、その結果多くの人に愛され、感謝される。なぜより多くの人なのか。自分自身が成長するためだ。

 

 私はカンボジアで農業の事業を始めた。働く場所を作り、日本の技術を移転し、すこしでも食糧が社会に供給できればと思ったからだ。農業のプロジェクトを考えたとき私は「わくわく」した。このわくわく感が3つの答えを広げようとしている、という私自身へのシグナルだ思っている。使命とも言えるだろう。最近は、愛する対象が広がり、わくわくするレベルが上がってきているようにも思える。

 

 われわれはちゃんと生きているか。
 静人の3つの質問に、改めて向き合ったらどうだろう。


 

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