
1月23日、小沢一郎・民主党幹事長は自らの資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る事件で東京地検の事情聴取に応じた。これに溯って15日、当時の事務担当者で私設秘書だった民主党衆院議員、石川知裕容疑者ら3人が政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕された。小沢氏の事情聴取応諾は遅きに失した感がある。
小沢氏が事情聴取に応じるのは当然のことだ。1 月16日の党大会で小沢氏は検察との"全面対決"を明言したが、私には開き直りにしか聞こえなかった。
そこに欠けているのは「信」。政治は「信」がすべてだ。国民の政治に対する信を根こそぎ奪った今回の事件の責任は非常に大きい。
論語の中に次のようなものがある。
「子貢が政治とはなにか、孔子にたずねた。孔子は、食糧を十分にし軍備を備え、人民には信を持たせることが政治だと答えた。子貢が、どうしてもやむにやまれず捨てるとすれば何を捨てるか、たずねた。孔子は答えた。軍備を捨てる。子貢はたずねた。残りの二つで捨てるなら何にするか。孔子は答えた。食糧を捨てる。誰にも死は訪れる。しかし、人民に信がなければ政治は安定しない」
食を捨てていいか、議論の分かれることだが、それほど政治においては信が大事なのだ。我々国民は税金を納める。政治を信じて国家の運営を付託するためである。年金も同様。老後の生活のために国に貯金をするようなものだ。
すべての根本は信にあるのだ。
信なくして政治は成り立たない。
当たり前のことが今の政治には欠けている。