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JOURNAL 思想・時事評

政治 2009.08.21

特攻で散った1036柱 彼らに胸を張れるだろうか

 また、夏がやってきた。

 

 8月になると、必ず思い出す地がある。鹿児島県南九州市知覧町。古い城下町が残る町としても有名だが、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に編成された旧陸軍の特別攻撃隊の基地があった町として知られている。
 昭和20年に入ると、戦局は悪化の一途を辿った。それに対し、3月沖縄防衛のため、これまでの守勢を一気に挽回すべく敢行されたのが特攻作戦だ。

 

 太平洋戦争中に旧陸軍の太刀洗飛行学校知覧分校として設立されたのが特攻基地の前身。知覧が沖縄から比較的近いことが考慮されたらしい。
 いま、特攻隊員が飛び立った飛行場には「知覧特攻平和会館」が建っている。特攻作戦の写真、遺書などの遺品約4500点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示されている。
 特に遺書には涙を禁じ得ない。15歳の少年航空兵の「お母さん、今、俺(おれ)は征(い)く」と記した絶筆。達筆な毛書は見るたび胸に迫ってくる。

 

 涙なくして展示を見ることは出来ない。日本人全てが同会館に行って欲しいとも思う。しかし、だ。同時に心に若干の違和感を覚えるのも事実だ。15歳の少年を希望なき死に追いやった側はどこにいったのだろう。誰がこのような作戦を立案し、どのような命令系統で1000人以上の人間を"無駄死"にさせたのか。その指導者側の責任を追及する展示があっても良かったのではないだろうか。

 

 2001年2月、小泉純一郎氏の姿も同会館にあった。小泉氏は静かに泣いた。ニュースでも美談として取り上げられた。
 小泉氏らしいエピソードである。平和会館を訪れたことには敬意を表する。しかし、小泉氏は一国の指導者である。指導者として必要なのは涙ではなく、陳謝ではないだろうか。

 

 1036人の特攻隊員はなにを祈り操縦桿を握ったのか、いま、私たちは彼らの思いに十分に報いているのか。この国は彼らに胸を張れる国となったのか。

 

 64回目の夏である。


 

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