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社会貢献 2008.06.25

カンボジア雑感

※2008年6月25日にワタミグループの全社員向けに送られたメッセージの内容を紹介します。

今回のカンボジアツアー参加者は80人となった。
数年前は、マイクロバス一台だったから隔世の感がある。
本や講演等で、カンボジアの教育支援をお願いしている、今回の参加者はその声に反応し、 学校を一棟寄附して下さったり、孤児院の里親になったりしてくれた人たちである。
今回の成田における結団式で、心からお礼を言わせていただくと同時に、カンボジアに行かない人は、所詮それだけの人生だと話をさせてもらう。
どうだろうか。
「カンボジアに行きたい」と言い、実際に行く人はその中で十人に一人いないのではと思う。
自分以外の人の幸せの為に一歩行動出来ることは素敵なことだと思う。
カンボジアの子どもたちの幸せに関わっている私は、なんて幸せ者なのだろうと、ただただ感謝の思いで胸がいっぱいになる。

今回のカンボジア行きの最大の目的は、「夢追う子どもたちの家」の開園式だった。
プノンペンから約三時間 ポーサット州の荒野に惚然として「夢追う子どもたちの家」が姿をあらわす。
「家」の前で孤児たちが迎えてくれる。
去年のこのツアーで「カンボジアに行きます」と宣言し、本当に来て、言葉を学び、頼もしくなった清水が笑顔で迎えてくれる。
「この子がゴミの山の子です」と13才の女の子を紹介してくれる。
顔を見ても最初は全く思い出せなかった。全く面影がない。あの時のあの子を思い出していた。ゴミの山で働いていたあの子を。
手は老婆のようにひび割れ 足はカサカサでかかとは岩のよう、顔はゴミの燃える煙によってすすけて、髪の毛はゴワゴワでまるでのりを塗ったよう、体から悪臭、目はおびえ、笑顔のかけらもない。
家を訪ねたことを思い出す。確か小さな弟がいた
聞くとその子も「家」にいると言う
病気のお母さんがいた。顔は黄色く黄疸症状が出ていた。
孤児院の話をすると「早く建てて欲しい」と言った。
「いつ?」という質問に「一年後」と答えると
悲しい顔で「死ぬ前に建てて欲しい」と言った。
その子のゴミの山での働きはお母さんの薬代になっていた その薬を見させてもらうと、どこにでも売っていそうな頭痛薬と胃薬だった。

一年前の「無力感」を、昨日のことのように思い出していた。
目の前のその子をもう一度見る。一年前のおびえた顔がその子の顔にオーバーラップする。
「夢追う子どもたちの家」に来て、一ヶ月半、手のひび割れは治り、顔はすっきりし、笑顔で私を見つめていた。
思わず「君か・・・・」と手を握る
「私のことを覚えているか」と聞くと恥ずかしそうに小さくうなずいた。
お母さんは、三ヶ月前に亡くなったという。
ギリギリ間に合わなかったが、今、この子はここにいる。
その子、「リーマン」の笑顔に、胸が熱くなり何も言えなくなる。
SAJとしてかなり無理をして、この立派な孤児院を建てさせてもらった。
学校建設と違い孤児院運営は80人の子どもの生命を預かる仕事である。
事実上、80人の子どもが出来たと認識している。

入園し しばらくしてB型肝炎が発症し、入院した子がいる。
どんなに大変でも、その子の面倒を最後まで見続けると覚悟をしている。
重くないかと聞かれれば正直ちょっと重い。孤児院運営は無限責任である。
しかしそのリーマンの変わり様、リーマンの幸せそうな笑顔を見て、そのちょっとが一瞬にして吹っ飛ぶ。
この子の人生に、確かに関われた幸せを噛みしめる。

数年前、籐を編む少女と出会った。
その子の手は籐で傷だらけになり血がにじんでいた。
お父さんは蒸発、お母さんはアル中、その子はふれあいサポートプランの子だった。
名前は「コーソレイ」14才になっていた。
日本の女の子と比べれば、まだまだ小学校5年生ぐらいにしか見えないが、その時から大きく成長していた。
「夢追う子供たちの家」入園一号だったという。血だらけの手は、きれいな少女の手になっていた。

お父さん、お母さんいずれもエイズで亡くなり、いじわるなおばさんに預けられ、いじめられていた四人の男の兄弟。上は16才、下は8才。
預けられた子たち四人が、おばさんにいじめられていることが、学校にまで伝わり、孤児院が出来たら、孤児院で預からせて欲しいと申し出たのが一年前。
その時の四人兄弟は、私の面会中、たった一度も笑顔を見せることはなかった。何か、そう 悪魔におびえているような印象を受けた。
面会の帰り道 あんな子ばかり集まってきたら孤児院はどうなってしまうのだろうと本気で心配した。その兄弟が待っていてくれた。
一人は、先述のB型肝炎で入院していたが、他の三人はいた。
彼らの底抜けの笑顔。「嘘だろう」と口をあけて、彼らを見てしまう。
―人は幸せになろうとしている―
―人は明るく生きようとしている―
そう彼らに教わった気がする。

プノンペン滞在中の三日 とにかくスケジュールをやりくりし、連続で「夢追う子どもたちの家」へ向かう。
一日目、開園式の後、ツアー参加の方々と遊ぶ彼らをながめていたツアー参加の方々が、くつや遊び道具をプレゼントしてくれる。彼らの喜ぶ顔が嬉しい。
一方、これからたくさん訪ねるだろうボランティアからのプレゼントは、ルールを決めて彼らに渡していかないと彼らの感覚が狂ってしまうだろうと心配になる。10歳まで心とモノの飢えの中にいた彼らを正常に育てていくことは、様々な点で注意をしなければならない。

二日目、ツアーと離れて一人「家」へ。ツアー参加者の歯医者さんの歯科健診「家」の子全員健診してもらい、歯磨き指導もしてもらう 虫歯の子、歯肉炎の子多数白く、上手に治療してあげたい。
法律で治療まではお願いできず、80人の子どもの歯すべてに私たちは責任を持つ。

三日目、「家」の近くの学校の贈呈式へ。
「家」の子どもたちが参加しているいつもながらの贈呈式。
ただひとつ違うことがある。
いつもなら、何百人の村の子が、「何百人」という単位で見える。
今回は30人の「家」の子が、「何百人」の中で、光って見える
「リーマン」がいる、「コーソレイ」がいる、「ピロン」がいる。台の上にすわる私に、サインを送ってくる。満面の笑顔でサインを送っている。運動会で我が子が走っている姿が光って見えるのと同じ感覚である。
「子ども」が増えたと実感する。

贈呈式の後、再び「家」へ。昼食を共にする。
炊事担当の女性職員の料理、美味しいという評判通りの料理だった。
とにかくこの子たちをお願いしますと何度も頭を下げる。
彼らとの最後の一時間 地球でひとつの教科書「無人島ウィー」を使い、初めての授業。 質問に対して一生懸命に答える彼ら。 まだ字も読めない子がたくさんいるが、この「家」で勉強をして早く読めるようになって欲しい。
「ふつうの王様」「いい王様」「本物の王様」
感覚的にその差を理解している。
授業の最後に、「父と子の約束五ヶ条」を空で発表する子がいて驚かされる 次の授業は、「父と子の約束五ヶ条」とすることを約束する。

帰らねばならない時間になったと彼らに告げる。
「コーソレイ」が「今度はいつ来るのか?」と質問をし、抱きついてくる。「リーマン」が手を握る。「ピロン」が足にまとわりつく。
半年後にもう一度来ることを約束する。
ここから、人数が倍以上増えても、「家」の運営がビクともしていないことをこの目で確認しなければならない。彼らの「さよなら」に胸を熱くしつつ「家」を離れる。

食堂に「夢」ボードが掲げてある。
名前・年齢・学年・最近の試験の結果、そして「夢」。
船乗り、歌手、芝生、医者、etc、「夢」が並ぶ。
私も「夢」が増える。
彼らが「夢を叶えるという夢」が増える。
日本の郁文館夢学園に留学するような子が、数年後には生まれることだろう。 そして彼らが、この国の、いやこの地球の明日に貢献することだろう。 期待で胸がふくらむ、ワタミグループ社員の「家」へのサポートを心からお願いする。

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