※2005年12月25日にワタミグループの全社員向けに送られた社内報の内容を紹介します。
今年最後のメッセージを送ります。
何かを始める時いつも強烈な体験や深い感動がその動機となり、それを続けることへの励みとなってきました。外食であれば、ニューヨーク・グリニッジ・ビレッジのライヴハウス「ケニーズキャスタウェイ」のあの感動が私の外食創業のきっかけとなり、今も、あの光景が外食への思いをささえてくれています。
「人は肌の色が違っても、主義、主張、宗教が違っても、お金もちでも貧乏でも、男でも、女でも本当に美味しいものがあって、よい雰囲気で心からのサービスを受け、好きな人といっしょにいる時、最高の笑顔をする。」
そのことを心の底で感じることが出来たことが外食産業のスタートでした。
今年のWATAMIグループの最大の挑戦は「介護」への参入でした。
「介護」の私自身の原点は何なのだったのだろうと考えました。
病院で「社会的入院の実態を目の当たりにしたこと」や「在宅介護だけではすべての高齢者の方の幸せが満たされるわけではない」という事実を目の当たりにしたことや、「施設介護においても、その提供されるサービスが、必ずしも価値の高いものではない」という実態を目の当たりにしたことが、確かに参入のきっかけとなりました。
しかし、それらは、介護の「ケニーズ・キャスタウェイ」ではありませんでした。
先日、ホームめぐりをしていた時その「ケニーズ・キャスタウェイ」を見つけることができました。夕食の後、あるご入居者様を部屋までお送りしようと車椅子を押していた時、走馬灯のように、ふたつの思い出が私の頭をよぎりました。
そのひとつは、私の日記をベースに、高杉先生が「青年社長」の上巻の最後に詳しく表現してくださっている内容です。
私の祖母の最後の温泉旅行において、車椅子を押したことを思い出したのです。
そのことを思い出しながら、ご入居者様の車椅子を押させていただいている時、とても幸せなものを感じました。
そして、次に思い出したことは「父の車椅子」でした。
亡くなる年の春もう足腰が弱っていました。
私の実家の前の川沿いは春になると美しい桜が咲き誇ります。
父は毎年それを楽しみにしていました。
父にその桜を見せようと桜咲く日に、川沿いに車椅子を押したのです。
その時の日記の記述をそのまま紹介します。
七分咲きの桜の下、弘明寺の川沿い、父の車椅子を押す。
「きれいだあ」と喜ぶ父。
少ししか、歩けずすぐに車椅子に乗る父。
痩せた父。おだやかな顔の父。
母が「四十四歳でお父さんと結婚して幸せだ」と言い、「俺も今幸せだ」と父が言う。
「五月には、亡くなったお母さんの法事、夏には軽井沢での避暑、そして来年には屋久島の家もできるのだから、あと二~三年は元気でいようよ」と私。
自分のことより、私の腰を心配する父。
有難くて涙が出る。
帰り際「今回は有難う。元気になったよ」と父。
この幸せに感謝。
この半年後に父は逝きました。
介護の「ケニーズ・キャスタウェイ」は祖母と父の思い出でした。
祖母と父の車椅子を押した時、私は本当に幸せでした。
何かをさせてもらって、たくさんの有難うをもらって、私は本当に幸せでした。
この幸せを求めての介護参入だとあらためて気づかされました。