※2007年4月25日にワタミグループの全社員向けに送られた社内報の内容を紹介します。
人口540万人の小さな国デンマーク。そのデンマークに「理想の介護」があると聞き、行くことにした。平成19年2月13日、シベリア大陸を越え一路デンマークコペンハーゲンへ。
この街には25年前「何をもって創業するのかの旅」=北半球一周旅行の時に訪れている。堂々とそびえる市庁舎も旧市街の石畳も、アンデルセンも、チポリ公園もなつかしい。
高齢化率16%と日本とほぼ同じ。ただ急激に高齢社会を迎えた日本とは違い、デンマークは「介護」のベテランの国。所得税50%、消費税25%という高税率国家。その分、社会保障は手厚い。医療費、介護費は基本的にタダ。医者、看護師、保健師、リハビリスタッフ、ケアスタッフ、チームで連携をしっかりととり、みんなで高齢者を支えているという「在宅介護」の考え方がとてもいい。
子どもはいっしょに住まないというお国の事情から、介護が必要になったとき「同居の家族」のような存在が求められる。
ゆえに在宅介護のあり方は日本とは全く異なり「一時間ごとの作業指示」ではなく、一人に対して必要ならば一日十回も、二十回も訪問しお世話をするというカタチになっている。私たちが施設で行っているカタチと同じまとめて24時間寄り添わせていただく介護である。施設であろうが、在宅であろうが本来「介護」とはそういうものである。
日本のお役人にも本質を理解してもらいたい。この「在宅介護」のあるべき姿をベースにして組み立てられているのがデンマークの介護である。その人、その人の介護度に応じて、お世話の仕方を変え環境を変えていくことが「予防介護」の観点からも最も望ましいという考えである。
まさにその考えに添った高齢者タウンを視察する。地域と連携し「自立」「要支援」「要介護」のさまざまな方がその度合いに応じて暮らしていた。その地域でまず目につくのはコペンハーゲンでは珍しい16階の高層ビル。ここは、軽い障害を持つ方々の施設となっている。その隣には、三階建ての施設。対応するナース・ステーションやケア・ステーションがあり、その看護師やケア・スタッフは他の施設の軽い方々も見守っている。そして、一番参考となったのが、それらの建てものの真中に位置する二階建ての円型の建てもの。大きな庭を囲み建ち、外側にも庭がその建てものを囲んでいる。
入口がふたつあり、いずれも縁がある。すべての部屋の入口が独立しているのが特長。高齢者では珍しく英語がわかるおばあちゃんがいたため、部屋を見せて欲しいと頼む。心よく、受けいれてくれる。50㎡ぐらいの大きさ。リビング・シャワールーム・キッチン、そしてベットルーム飾りつけがとてもセンスがいい。
自分の若い頃の写真、だんなさん?の写真、そして金髪のかわいいお孫さんの写真。もちろん部屋の壁には、緊急用の電話機があり、何かあれば隣の棟からケアさんが飛んでくる。同じ棟のボーイフレンドが部屋に遊びに来る。隣・近所は皆、仲間。昔の長屋のようなイメージ。まさにそこには、「自立」があり、「安心」があり、「孤独を癒す安らぎ」がある。老後の生活のひとつの理想を見る。
そのおばあちゃんが使っていた手押し車のようなものが気になる。同行の鷹野教授によれば「ロレーター」という歩行補助器でこれゆえに、デンマークでは、車椅子を使う人が非常に少なくお年寄りが皆、元気なのだと言う。
おばあちゃんに聞く。~アイ・キャン・ウォーク・アローン~と英語で笑って答えてくれる。
ひらめく。今、ワタミの介護では三大-0(ゼロ)をめざしている。それは、「おむつ-0(ゼロ)」「経管食-0(ゼロ)」「特殊浴-0(ゼロ)」である。日本の老人施設を訪問し、一番気になることは「車椅子」の多さ。まだ歩けそうな人も「車椅子」を使う。自分の親には、「車椅子」など、使わない生活をしてもらいたいとだれもが願うだろう。お年寄りにとって「楽な道」は、「死への近道」となる。
「車椅子」をなくそう。
皆、この「ロレーター」で歩けるようになってもらおう。「三大-0(ゼロ)」はヤメた。「四大-0(ゼロ)」に今日から変更。
鷹野教授に質問~何故こんなにいいものが、日本で普及しないのか~
~それは、ケアさんが大変になるからです~ ワタミの介護の出番である。
コペンハーゲン市長との対面の話をしたい。100年以上の歴史を持つ荘厳な市庁舎へ。入口を入った大きなホームには、デンマークの国旗と並んで日の丸が・・・。市長の心遣いと言う。異国の地の「日の丸」嬉しいものである。おそらく、私と同世代の市長との話で、主だったものをいくつか紹介したい。
~人は、自らの家で死んでいくことが幸せであるという概念に基づき、介護の仕組みが成り立っている~
「在宅の方が、施設よりもお金がかかる。一人当たり一月120万円です。しかし、好きな家で最後まで生活をして欲しい。その思いゆえに在宅介護を支援しています」
~高齢者の方を、国として、自らの親と考えている~
「老人ホームの月の値段?それは、マチマチです。その方の一月の手残りが最低でも1400クローネ=約三万円あるようにお一人お一人設定します」
子どもが親にお小遣いをあげる感覚に驚かされる。
~本気で高齢者の幸せを考えている~
「今年の大きな目標があります。それは、老人施設の食事の満足度を100%にすること。前回の調査では、13%の方が不満と言われました。食事が美味しいことは不可欠です」
全く同感。ワタミの介護では満足度95%。その点では、「介護大国」に一歩リード。食事の満足度を上げていくためには、「個別対応」しかない。「濃い味」が好みの人、「薄味」が好みの人。「腰のあるうどん」「ないうどん」どこまでも「個別対応」しかない。デンマークで学んだ「理想の介護」やはり、それは同じ結論にたどり着く。
「認知症」について考える。状況に応じた住環境・生活環境がお年寄りの幸せのために不可欠だとしたら、分け方は
「自立」=緊急コールでつながっている環境、他、自分のことは自分で
「要支援」=緊急コールでつながっており、かつ、洗濯やそうじや食事のお世話をさせていただく環境
「要介護」=24時間体制でお世話させていただく環境の三段階でいいと考える。
ただ、やはり日本の老人施設へ行き、現実を直視したとき、もうひとつの場所をしっかり準備しなければならないと気づく。
それは「認知症」対応。デンマークは、特に、この「認知症」対応が進んでいるという。認知症の方が8人から9人のグループで暮らし、お互いに助け合って生きることで認知症の進行を遅らせることを目的とした「グループホーム」へ。そこには、あたたかな空気が流れていた。部屋には、それぞれの入居者が、自分の家の生活環境と、同じにするために個人、個人の思い出の品があふれている。
若い頃の写真、家族の写真、旅の思い出の小物。すべての部屋、そしてリビングルームは、庭に面しており、その庭には入居者の五感を刺激するべく、色鮮やかな花や、ハーブのような香り豊かなもの、そして食べられる野菜が植えられている。リビングの真中にはキッチン。料理をつくる途中の美味しそうなにおいが、なくした食欲を取り戻し、皆でつくる食事が認知症の進行を遅らせるという。働いている方々、そして何よりも入居されている方々の表情がとてもよい。余裕がある。ゆとりがある。笑顔がある。
ゲームに参加させてもらう。「動物合わせゲーム」手もとに9枚の動物の絵。一枚ずつケアスタッフが、新しいカードをめくる。自分の手持ちのものと合えば、消していくという単純なもの。参加者は、入居されている方三名、ケアスタッフ一名。私は、一人のおばあちゃんの応援にまわる。「馬」が出ても皆、知らんぷり。手助けは出来ないため見守る。やっと一人の方が「馬」と気づく。今度は「羊」眠っていたと思っていた方がいきなりそのカードをひったくり、自分のカードと合わせる。ゲームは進み、全員あと一枚で上がりの緊迫戦。最後に「犬」が出て、私が応援していた方が勝利者に。満面の笑み、手を握り合って喜びを分かち合う。ほんの短い時間だったが、「サヨナラ」を言い、入居者の方々から手を振って見送ってもらうとき、思わず胸が熱くなる。「いつまでも元気でいて下さい」の心で祈る。他のグループホームもまわるが、そこは入居者が虚ろな表情で座っているだけのものだった。
「認知症」には、少数グループにしての手厚い介護が大事なのは言うまでもないが、やはりすべては「人」「相手を思う心」があふれているケアスタッフがいて初めてこの「グループホーム」という仕組みは機能する。「介護」を必要とする段階ごとに住環境・生活環境を変え、かつ、そのお一人おひとりの状況に応じてお世話の仕方を変え、接し方を変え、出させていただく食事の内容も味を変え・・・。どこまでも「個別対応」していくことしか、お一人おひとりの幸せにはたどり着かないことを今回の視察で知る。
経営において最大公約数と最大効率を求め、人間として「たくさんの手」=ふところの深い、イレギュラーが当たり前の非効率大歓迎の姿勢を持ち続けることこそ、ワタミの介護のあるべき姿であることをあらためて知る。この「介護」という仕事に出会えたことに感謝したい。どこまでも相手を思うなかにこそ、ビジネスの成功がある。その戦う場に感謝したい。
どこまでも、相手の幸せを追求するなかで自らが人として喜びと共に成長していける仕事があったことに心から感謝したい。明日の日本のすべての高齢者の幸せの為、「ワタミの介護」の同志諸君に心から期待する。