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社会貢献 2006.07.25

「焼石に水」でもいいじゃないか

※2006年7月25日にワタミグループの全社員向けに送られた社内報の内容を紹介します。

私たちのカンボジア教育支援の実が少しずつですが結び始めています。建設校は50校を越え、今年中には70校に届きます。三年前にスタートした「家庭が貧しくて学校に入学できない、もしくは退学をしなくてはいけない子どもたちへの支援制度=ふれあいサポートプランの対象生徒数が754人となりました。
毎年、毎年カンボジアに行くたびに、私たちの役割を見つけます。最初は、「トイレ」と「井戸」でした。学校を建てても「トイレ」がなければ、小学校高学年の女の子は学校に来てくれません。「井戸」がなければ、あの40度以上の暑さの中、子どもたちののどの渇きを癒すことができず授業になりません。
次が貧しくて学校へ行けない子へのサポートでした。「文房具と洋服」月に、たった70~80円の支援で彼らが学校に行くことが出来ると知りました。
カンボジアに行くたびに、ふれあいサポートプランを受けている子どもへの家庭訪問をし、多くのことを学ばせてもらいました。力を合わせ家族で生きている姿を見て、「貧しいことは不便だが、不幸ではない」と知りました。ところが、昨年のこと、お父さんは失踪、お母さんは病気、姉弟4人兄弟の家庭を訪問したときのこと、「一日に一食も食べられない現実」があることを知りました。それから一年、何とか彼らに、いや、あの六歳にしか見えない小学校一年生の十二歳の女の子にごはんを食べさせなくては・・・と活動しました。
WFP(世界食糧計画)との出会いがあり、この春から十五校6500人の給食と、745人の子どもたちへのお米支援が決まりました。カンボジアでは、目がつぶれているように見える子によく出会います。水が悪いからです。腐ったような水で、調理から洗顔まで生活のすべてをまかないます。カンボジアの子どもたちに真っ当な医療を受けさせてあげたいと、ことあるごとに人に話していました。講演でも話をさせてもらっていました。言ってみるものです。青年会議所の医療部会の皆さん=総勢二十名の医療団が「カンボジアに行ってもよい」と援助を申し出てくれました。
今回の私のカンボジア行きは、学校の贈呈式や次の建設予定地の視察もあったのですが、メインの目的は「食糧」と「医療」の現状を把握し、私たちの支援の効果を把握することにありました。
お米支援の家を訪ねました。カンボジア支部で働いているチョウリーさんが、「私はあの子の家へ行くと涙が出るのです」と言うほどの貧しいという言葉さえ当てはまらないほどの悲惨な状況がそこにありました。雨をしのぐ屋根さえありません。今日のお米はひと粒もない。「今日の食事は小さな子ども三人がカシューナッツを拾えた分だけ」と悲しそうに乳呑み児を抱いた病気のお母さんが話してくれました。背の小さな十二歳の男の子の仕事はあひるの卵拾いです。せっかくの仕事も大人にとって代わられてしまう日が、多いそうです。大人の労働機会が少ない経済状態まで考えたとき、正直言って「どうしようもないな」と感じてしまいました。
医療団を待つ子どもの家を訪問しました。お父さん、お母さん、そして末の妹もエイズで亡くし、今は下の妹と二人、おばあさんに育ててもらっています。彼らの仕事は水汲みです。前に妹、後ろにお兄さん。水瓶のぶらさがった幹を二人で担ぎます。お兄さんの方に、負担がかかるように少し重心を後ろに下げて担ぎます。そのお兄さん、小学校四年生の十二歳の男の子が数年前から激しい頭痛に襲われていると言います。顔をのぞき込みます。素人の私にさえ、彼の体の異変に気がつきます。目が明らかに焦点が合っていず虚ろです。彼もエイズなのでしょうか。
もう一軒訪問しました。小学校二年生かわいい十三歳の女の子です。六年前に三週間、高熱が続き意識回復後左半身不随となりました。その姿は言葉にならないほど痛々しいものでした。その他、コブラに咬まれ、足の骨が露出し傷口の肉が腐り、足の神経が麻痺してしまった子、頭骸骨骨折で脳みそが露出している子、ナイフが目の横に刺さり失明した子、一軒一軒の家々を回るうちに、「無力感」が私の心に広がりました。
 ~学校が足りないと言われて学校をつくらせてもらった。学校のインフラがないから整えさせてもらった。貧しくて学校へ行けない子を応援させてもらった。生活をまのあたりにし、「ごはんを食べて欲しい」と願った。そして、「病気を治して欲しい」と願った。
 問題が次々と見えてきた。そのひとつ、ひとつの問題は「国」の問題であり、そのひとつひとつの問題のあまりの大きさと深さに心がひるむ~
「そんなことを言ったって、どうにもならないよ」と心が叫んでいました。
あひるの卵拾いの少年が見送りに来てくれました。彼を手招きし、ホテルでつくってくれた私のランチを渡しました。少年はフランスパンを見て、何とも言えない表情をしました。「今日のごはんが食べられる」という安堵の表情などと薄っぺらな表情ではあてはまらない深い表情でした。その時、ふっと思いついたことがありました。
~今日、彼は食事ができる~ この言葉が頭をぐるぐる廻りました。
~今日、彼は食事ができる~ 涙があふれました。
嬉しそうに手を振り、家へ帰る後ろ姿を見ていて、胸がただただ熱くなりました。
大きなことは考えなくていいと思いました。
~医療団の薬によって、エイズかも知れないあの子の頭痛がたった一日なくなればいいではないか。焼石に水だっていいじゃないか。その一瞬「ジュッ」っていうだろう。「ジュッ」っていわせるだけで十分だ。
砂に水を蒔こう。砂に水を蒔いて何になると人は言うかもしれない。砂に水を蒔いた瞬間、砂が一瞬でも濡れればいい。蒔かないよりも、蒔いた方がいい。虚しくなんかない。ひとつでも現実が変わればそれでいい~あひるの卵拾いの少年が教えてくれました。
朝三時半に起床し遠くプレイベン州の「ソビン・スワイサムサップ小学校」へ給食の視察に行きました。子ども一人分、米100g、豆40g、これをいっしょに炊き上げます。おかずは魚缶詰20g、油10g、塩3g、これではあまりに少ないため、水で薄めたカレーのようにしてごはんにかけて食べます。私たちのつくった小学校でWFPがここでは既に給食を支給してくれていました。毎日、同じ内容決して美味しそうではありませんが、子どもたちは嬉しそうに食事をしています。ふと見ると食べようとせずに自分の分をビニール袋に入れている子がいました。聞いてみると、家で待っている弟妹といっしょに食べるそうです。友だちがいつものことのように自分の分を残し、彼女のビニール袋にごはんを入れます。自分たちさえ、一日一食も出来ずにお腹がすいているだろうに。その光景は真の豊かさを教えてくれるものでした。
~分け合えば余る、奪い合えば足りない~
~幸せは、自分一人だけのものじゃない、隣りの人といっしょ~
そんな真実を彼らは、自然体の中で教えてくれました。カンボジアを支援させてもらえること、すべてに感謝をしたいと思います。学べること、彼らのほんの少しだけ役にたてること、彼らと共にほんの少しだけ生きられること、心から感謝したいと思います。

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